春のうららの
 



今年は随分と寒い寒い冬だったが、さすがにそろそろ終幕か。
冬将軍の最後の一暴れらしき、大きく発達した低気圧が猛威を振るったものの、
それも何とか去ってののちには、
いよいよの春の使者、桜が咲いてもいいだろう暖かさが駆け足でやって来ており。

「…という訳で、
 あんまり根を詰めると血の巡りが悪くなって早死にすると言われているのだ。
 知らなかったのかい? 国木田くん。」

「なに? それは本当か?」

今時にはレトロな佇まいとして建築マニアからの憧れとなりそうなビルヂング。
やや古風な型の窓辺には、今時分ならではの時刻に差し入る柔らかな春の日差しが弾けて目映く。
個々人がそこで書類作成するためのデスクを幾つか並べた調査員用の執務室には、
外での実務へ出る予定のない社員が数人ほど居残り、
報告書を綴る傍らに、罪のない話をしつつ穏やかに過ごしておいでで。
実のある話は記録として残したいのか、
表紙に理想と記された愛用の手帳へ聞いたばかりの蘊蓄を書き記し始める、
几帳面そうな眼鏡の女史だったが、

 「勿論、嘘だけど♪」

ある程度書き始めたのを見越してから、低い声で付け足された太宰嬢の一言へ、
その手元で万年筆がへし折れるところまでがお約束。

 「太宰〜〜〜〜ッっ!」

こめかみに青筋立てて怒鳴りつけ、今度こそは容赦ならぬと国木田女史が掴みかかるのを、
ササッと躱した数歩先、フラダンスのように腕やら腰やら左右にふよふよ揺すって挑発するのも相変わらずで。

 “…まあそれだけ平和だってことで。”

このいい陽気に眠いだ何だと ぐでぐでされても、似たような展開になるのだしなぁと。
同僚の先達二人の大騒ぎへ諦念混じりの苦笑を供し、
机に備え付けの電算機端末を開いて、自身は書類の作成に勤しんでいた谷崎さんだったが、

 「え…?」

ふと。
前髪を押さえているヘアピンへ手を遣った折、何かの存在が視野を掠めたことに気が付いた。
警戒等意識しない中へのそれで、よって曖昧な感触ではあったが、
そこは彼女もまた調査員の一隅として感覚を鋭く養っている身、
それに 不自然だったからこそ不審だと見咎めた…というよな順番だったようで。

 「???」

とはいえ、何でもない日頃からいちいち強く警戒してなんかない。
それでは神経がすり減ってしまうよな職種であり職場でもあるがため、
今もちょっと気になる色彩か何かが目に入ったのだろうという程度の感覚、
何なに?何だったのかなぁ?と、
本当に “何の気なしに”視線を戻したものの、

 「ひ……っ。」

そうしたことを後悔しつつ、ぎこちない動作で椅子から立ち上がると、
その回転椅子が引っ繰り返りそうな勢いで飛びのいて、
ちょうど通路の先、歓談用のソファーが置かれた待ち合いへ入るところに立って
不毛なやり取りを続ける先達二人のところまで、あわあわと覚束ない足取りのまま駆けてゆく。

 「谷崎?」
 「どうしたんだい? 谷崎くん。」

双方とも知的気質であり、男勝りな口調のそのまま、
東のヘタレという不名誉なあだ名をつけた後輩社員の不審な様子へは素早く気付いたようで。
何だ如何したと小首を傾げたものの、
いくらヘタレでも のべつ幕なしに腰が引けてるような子じゃあない、
何にか怯えているよなと察した太宰嬢が
柔らかそうな髪を肩先でふわりと躍らせつつ、彼女が出て来た方を見やったそのまま、

「…………っ!」

ギョッとして自分までもが、つい先程さんざん揶揄った国木田女史の背後へと身を隠す。

「何だ、太宰。」

貴様までどうしたと訊いたそれは背の高い同僚嬢へ、わなわな震える腕を伸ばし、
あっちあっちと見るのも嫌だという様相で人差し指で問題の方向を示してから、
同じように身を縮めて怯えている谷崎へ、

「賢治くんと敦くんはいつ戻るんだい?」

と訊いており。
それを耳にしてもなかなか察しがいかなかったらしい国木田さんも、

「…げ。」

お行儀のいいインテリジェントな女史には似合わぬ奇声を上げ、
二人ほど背負った格好のまま、やや力技でざざっと強引に後ずさる。
この武芸百般修めておいでの女史でも、それほどまでに悍ましいとする“相手”であるらしく。
まだ理性は揺るがぬか、

「敦は遅番で鏡花も同じく。
 賢治は殺人事件の推理に出た乱歩さんについてっているから
 いつ帰ることになるか判らんのだが…谷崎、ナオミくんはどうした。」

太宰が何でその顔ぶれの帰社時間を訊いたかも判ったその上で、
絶望的な状況であることを口にし、
まだ何とか頼りになるやもしれぬ存在の名を問えば、

「まだ学校ですよ。それにあの子もああいうのは苦手で、うわぁあっ。」
「ぎゃあっ。」

怖いもの見たさというより、見失ったらどこから不意に飛び掛かられるかが恐ろしいのだろう、
見たくはないが外せない視線の先ですばしっこく動き回る“それ”の一挙一動へ
ひやぁあっと悲鳴を上げる谷崎と太宰であり。
避けるついでに楯代わりの国木田をぐいぐいと振り回してしまうのも、
これに限っては悪ふざけではない太宰嬢が、

「国木田くん、自動拳銃出してくれ給え。」
「出せるかっ。」

切羽詰った要望へ、だが何へ使うかがすぐさま知れて。
あのような小虫へそんな凶器を使うなぞとんでもないと拒絶すれば、

「じゃあ、自慢の合気道で何とかならんのか、あれ。」
「なるかっ。」
「触れもせず斃せる“空気拳”とかいうのは?」
「それはどっちかといや“功夫”の奥義だっ。
 合気道にもなくはないが、
 相手の気脈を読まねば効かぬもの、あのような相手の気を読めようはずが…っ。」

声高に律儀にも説明しつつ、
少しでも視線を逸らせばその隙に素早い相手がこちらへ向かってきそうに思えてならぬ。
その点は太宰も同様なのらしく、
奇声を上げてしがみつく先の国木田も含め、
悍ましき小虫相手に右往左往してしまう辺りは女性らしいと云やぁ云えるのかも?

「そういや啓蟄も過ぎたことだしなぁ。」
「アレにはそういうの関係ないんじゃないか?」
「そうですねぇ。此処って年中誰かが居て、暖房効いてて暖かいですし。」
「それでも冬の間は見なかっただろうが。」

現実逃避か、今はそれ必要じゃあなかろうというよな雑談を持ち出し、
ごちゃごちゃ言い合いつつもやはりその目は “其奴”から剥がれない。
魔都ヨコハマを脅かす、数々の怪異的事件や驚異的な力もつ異能者からの魔手を相手に、
その身を呈し、満身創痍になることも厭わず対峙してきた歴戦の武装探偵社の凄腕社員でも、
さすがに其奴だけは心理的はたまた生理的におっかない模様。
かさこそと近寄られても怖いが、そのまま何処かへ紛れ込まれてもそれはそれで脅威であり、
他には誰もいないときに間近へ出て来られたらと思うだけで鳥肌が止まらない。
どうしたものかと二進も三進もゆかぬまま、
武装探偵社が誇る異能調査員のお歴々が3人も、
悲劇の渦中にあるヒロインよろしく、ひしと寄り添い合い、総身をこわばらせておれば、

 「おはようございます♪」

お行儀のいい挨拶と同時に、彼女らの背後ですりガラスを嵌めた小窓付きのドアが開く。
遅番と言ってもまだ昼前という早い時刻のうち、
報告書を仕上げねばという見上げた心構えから出社してきた白銀の髪の虎の子へ、

「敦っ。」
「敦くんっ。」
「よく来てくれたねっ。」

先達3人が飛びつくように取り縋ったのはいうまでもなく。
その勢いと剣幕こそがおっかなかったか、
入って来る直前までは他愛ない話へ朗らかに笑っていたはずが、
ネイビーブルーのダッフルコートも可愛らしい、華奢な少女が何だ何だと驚いて見せたものの、

 「あ…あつし、あれ。」

実は彼も苦手だったらしい、口許を引きつらせた和装姿の鏡花くんが
二人へ寄ってたかった彼女らの向こう、丁度複写機のある所を指差して見せ。
其方へと頭首を回し、念を入れてか虎視を降ろして見やった先へ
しっかと何かを見つけたそのまま、嗚呼とやっとこ納得がいったらしい敦嬢。
自身の細い肩やら懐へ縋りついてる皆様へ、大丈夫ですよとポンポンと手のひらで叩いて宥め、
斜め掛けにしていた肩掛け鞄を降ろし、そのまま外套も脱ぐと、
入ったばかりの戸口の傍ら、観葉植物の鉢の陰に置かれた収納ボックスから古新聞を一部取り。
ばっさと振って広げたそのまま、自身の身を台代わりに手慣れた様子で筒に丸めてゆき、
あっという間に簡易の木刀もどきを完成させる。

「では、皆さんは応接室にでも避難しといてくださいな。」

凛々しい声音でそうと言い切る勇ましさよ。

「何を言うのだ、敦くん。」
「そうだぞ、キミだけ危地へ放り出せるか。」

…ホントは退治しきれたか見届けないと落ち着けないのでしょうにというの、
国木田と鏡花には薄々感じ取れていたけれど。
さすがにそこまでの裏は読まないところがまた敦嬢の素直なところか、

「では、此処で待っててくださいね。」

すぐに済みますよとにっこり笑ったところは、まだまだいとけない風情の少女。
だが、揺ぎなき足取りで迷い無く歩み寄った複写機の足元へ、温度なき照準を合わせると、
その手へ握った新聞紙の得物を振り上げ、
手首のスナップを利かせた一閃、目にも留まらぬ素早さで発揮した一連の動作は鮮やかで。

 ぱぁぁぁぁぁあん、と

乾いた炸裂音が弾けたと同時、
慣れぬ手で圧し潰してもなかなか絶命には至らぬという柔らかな凶躯を
たったの一撃でそれは見事に圧殺しおおす勇ましさ。
一応は後見にと付いて来ていた鏡花くんが、
ボックスティッシュから抜いたちり紙を差し出せばそれで屍を拭い取り、
やはり差し出された小さめのポリ袋へ収めれば、

「あとの掃除は任せて。」
「はい、ありがとうございます。」

そのくらいはさせてと眉を下げる谷崎や国木田といった先輩嬢らへにこやかに頬笑んで、
憎き敵の遺骸を外のごみ集積場まで敦嬢が持ってゆくところまで、
実はこの社での一連のお約束となっており。

「…敦、危険手当 一件計上、と。」

月末前に事務方へ手渡す勤務表をパラリと開き、
国木田女史がそうと書き足したところまでがワンセットの騒動に、
嗚呼 春が来たねぇと、太宰嬢が困ったように苦笑したのであった。



     to be continued. (18.03.10.〜)





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 *大したネタではありませんが、
  啓蟄の日に思いつきました。(笑)
  『ようこそ、お隣のお嬢さんvv』の後日談というか番外編というか。
  頼もしい女傑の皆さんでしたが、
  実はこういう弱点があったら可愛いなぁと思いましてvv